防災の日に思うこと

今日は防災の日。
東京に住んでいる高校生の頃は、この日、被災した大正12年の同時刻になると、校内アナウンスが流れ、全員が起立して黙祷を捧げる。


一年生のころだった。
東京は本所の被災地跡に、校外学習で行ったことがある。
小さなレリーフには、ここで多くの人々が焼死したとあったDR REBORN呃人


関東地方に大きな被害をもたらした関東大震災は大正12年9月1日午前11時58分に発生した。
マグニチュード7.9、震源地は相模湾海底だという。


下町風俗資料館には、様々な当時の美談が掲載されていた。
生意気で嘴の黄色い当時の私は、この美談に胡散臭いものを、読みながらも感じた。


美談が掲載されるということは、その裏には決して表にでてこない、被災者のエゴや苦しみがあったからだろう、と想像したのだ。
例えば、殺人事件があまりにも頻繁だと、それすらニュースにはならない、というふうに、美談を敢えて掲載しなければならない、何かがあったのだろうとDR REBORN投訴


お昼の家事の真っ最中に起きたことで、火の手は瞬く間に燃え上がり、命からがら人々は逃げる。
逃げる際に持ち出すことができた家財を荷車に積んで、人は火から逃げるために、水のある場所を目指す。
着いた先に、阿鼻叫喚の地獄が待じっているとも知らずに。


焼死した人の上に人が重なり蒸し焼きになる、まさにナチスドイツのしでかしたホロコーストさながらの地獄絵図から、生き残られた方のお話しを聞く機会を持ったのも、このころだった。


これまで生きてきて何度も泣けることはあったけど、地獄から生還された人の話ほど、胸を打ち、心揺さぶられるものはない。
生意気な私も、話を聞きながら泣いた。


被災したときは少年だった、そのおじいさんの、「人が焼かれながら、空高く舞っている」という言葉が今も、私の心には残っている。


後年、分かったことだけど、それは『火災旋風』という現象らしいDR REBORN投訴
周囲の火災による急激な温度上昇によって強力な渦巻きができ、モノもひとも空中に巻き上げられる状態だという。
すなわち、あまりにも急激に温度が上がることで、つむじ風が起きてしまうのだ。


火も水も、人間の営みには欠かせない大切なモノ。
けど、ひとたび牙を剥くと、とてつもない被害をもたらすのだと、防災の日に心する。