ぶんぶんぶん蜂が飛ぶん

日々の気温の差が大きく、季節が戻ったり先に行き過ぎたりということを繰り返すと、毎度のことながら「今はいつ? これから冬なの? 春なの?」と混乱する。その一瞬の混乱を、ふわっと楽しんだりもする。地に足がつかないまま、意識の中でくるりと身体を巡らせ、景色の中に答えを探すような、そんな感じAmway安利



道端にはれんげ色のホトケノザが咲き、更に足元をよく見ると、小さな青いオオイヌノフグリもたくさん咲いている。ツクシも見つけた。気づけば下ばかり見て春を探している。桜を見上げて歩く日までもう少しだ。


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週末に『蜜蜂と遠雷』(恩田陸)を読み終えた。ピアノコンクールに出場するコンテスタントたちを描いた小説だ安利


「世界は音楽だ」「音楽は世界だ」「少年はミュージックだ」「この世界は音楽で溢れている」「さあ、私の、あなたの音楽を!」と、小説は謳い上げる。けれど、その小説は「言葉」で溢れている。



ピアノの音も楽曲の特徴も、演奏によって想起される光景も聴衆の反応も、ホール全体の空気感も、全て「言葉」で繰り返し表される。言葉、言葉、言葉、文、文、文! 



無限の広がりを持つ「音楽」に対して個人の使う「言葉」には限りがある(私の読解力にも限りがある)。それがなんだかもどかしくて、途中で何度も「音」を聴きたくなった。実際の演奏を聴きたくなった。本当はどんな「音楽」なんだろう、自分ならどう感じるんだろうと安利


きっと、私はそれを「言葉」にはできないのだけれど。