塀の上に置いてあるもの

つい先日、会社の同僚と
町を歩いていた僕は、こんなものが
塀の上に乗せられているのを発見しました。
これ、なんでしょうかねAmway安利



緑色のトゲトゲが刺さった謎の物体――
としか言いあらわすことができません。
茶色い歪なボール状部分からトゲトゲが
生えているようにも思えるけど、
ただ単に突き刺してあるようにも見えます。



考えてもよくわからないので、
とりあえずは写真を撮っておこうと
思ったしだいでございます。まあ、
会社の同僚は「なんでこんなもんを
撮るの?」と疑問に思ったでしょうけど安利




ところで、
奥さんにそのことを話し、
写真を見せると、彼女は
「やっぱりね。ふむ」といった
顔つきをしました。
なにか知ってるような感じです。



「なにか心当たりがあるのか?」と僕。
奥さんは厳かそうにうなずくと、
こう言ってきました。
「ほら、前にも言ったでしょ?
塀の上に《なにか変なもの》が置いてあるのを
何度も見たことがあるって」
「《なにか変なもの》?」
「そう。《なにか変なもの》」



頭の悪そうな会話がしばらくつづくことに
なったのですが、まとめるとこういうことでしたAmway安利
?塀の上には《なにか変なもの》が置いてある
?それは、まあまあ頻繁にある
?一概には言えないが、それは
鳥の死骸や干涸らびたカエルだったりする
?2メートルはありそうな塀の上にも、それはある



まったくとりとめのない話なんですが、どうも
そういうことらしいです。
しかし、そう言われると僕にも
思いあたることがありました。
というか、二人で見たことがあったのを
思い出したんです。



それは、たしか鳥の死骸だった
ような気がします。神社の塀の上に
ぽつんと、誰かがわざわざ
置いていったかのようにあったんです。
あと、小石川植物園の高い塀の上にも
あったのを思い出しました。



まあ、ごく希ではあっても、道に
あったりしますよね。鳥の死骸が。
カエルの干涸らびたものも僕は
年に一度は見ます(なにしろ
雑司ヶ谷にはカエルがいますので)。
しかし、
塀の上というかなり狭隘なスペースに
それが在るというのは不思議です。



誰かがなんらかの意図を持って置いたように
思えます。いや、そうでなければ
高い塀の上に干涸らびたカエルなんて
あるはずがない――とも思います。
ただ、そうなると、
その意図とは?



黒魔術的なことでしょうか?
呪術に欠かせない物体を、独自の
方法論にしたがって置いているのでしょうか?



のほほんと生きている僕たち夫婦には
知ることのできないような強い恨みが
そういった行為としてあらわれている
のでしょうか?



そういう目で、もう一度
僕が写真におさめた謎の物体を
見てみましょう。


鋭く尖ったトゲトゲは、
恨みをはらす刃をイメージしたもの
なのでしょうか?



不用意にこんなものを撮った僕には
黒魔術的な呪いが
降りかかってくるのでしょうか?

敬老会の送迎の話

 今日はお昼から雨、それも雷雨になるかもとの予報だった。いつもは5時くらいから活動するキヨちゃんが、雨予報に朝寝したのかと思っていたら、4時に大きなムカデに出会い、見失い、それを見つけて退治するまでは眠れず格闘したのだと言う。で、私たちが起きるころにうつうつしたらしい。
 元々、お水元の掃除をする予定だったのだが、流石のキヨちゃんもその疲労があったので、いつもより活動時間は遅くスタート。
 くりりんは今日はひとりでてんてこ舞いの日だからHalloween派對
 「お弁当は食べる時間が無いと思うから、コンビニでおにぎりかパンを買うからいい。」
と言うので、お弁当はパスした。
 キヨちゃんの活動までにリュウとお散歩。道中の花や、ご近所の花畑の花が綺麗だった。


この暑いのに、上下合羽を着るとこれはサウナスーツ状態だが、これで山へと向かう。上の畑まで行きついた頃、牛乳屋さんが到着。玄関を閉めているし、空の瓶もあるので慌てて取って返した萬聖節活動
 するとちょうどいいタイミングで電話が鳴っている。それは近所のおばさんからで、
 「キヨちゃん敬老会行くだろう?〇〇の姉さん(この辺りのリーダー的なおばちゃん)が、タクシー段取りしてくれよったけど、あちこち回るのも気の毒なけん、うちの娘が私と一緒に送っていくと話おうたけん。」
と言う。
 さて、私の中で一瞬????が飛んだ。何故なら、この敬老会、ご近所のお世話をしてくれる人が段取りしてくれていたが、タクシーの乗り合わせが上手くいかないので、一緒に行ける人がおらず、親戚のおじさんに頼んでみては・・・ということになり、頼んだところだったのだ。
 どうやら、キヨちゃんを連れていく相談の時は無理だと判断していた〇〇の姉さんは、その後、
 「キヨちゃん一人置いて行くのは可哀想だ。」
と密かに段取りをしてくれていたようだ親子好去處
 しかし、あちこちタクシーで回るのは大変だろうと、電話をくれたおばさんが名乗りを上げてくれたらしい。
 有難い話であるが、こういうことは「密かに」しないで貰わないと、あちこちで約束がダブってしまう。キヨちゃんと相談し、おじさんにキヨちゃんが事情を説明して断り、ご近所のおばさんにもキヨちゃんから。娘さんには私から連絡。そして段取りをしてくれていたご近所さんにも結果報告・・・である。
 ふたを開けてびっくりなことにならなくて良かった・・・・・。

防災の日に思うこと

今日は防災の日。
東京に住んでいる高校生の頃は、この日、被災した大正12年の同時刻になると、校内アナウンスが流れ、全員が起立して黙祷を捧げる。


一年生のころだった。
東京は本所の被災地跡に、校外学習で行ったことがある。
小さなレリーフには、ここで多くの人々が焼死したとあったDR REBORN呃人


関東地方に大きな被害をもたらした関東大震災は大正12年9月1日午前11時58分に発生した。
マグニチュード7.9、震源地は相模湾海底だという。


下町風俗資料館には、様々な当時の美談が掲載されていた。
生意気で嘴の黄色い当時の私は、この美談に胡散臭いものを、読みながらも感じた。


美談が掲載されるということは、その裏には決して表にでてこない、被災者のエゴや苦しみがあったからだろう、と想像したのだ。
例えば、殺人事件があまりにも頻繁だと、それすらニュースにはならない、というふうに、美談を敢えて掲載しなければならない、何かがあったのだろうとDR REBORN投訴


お昼の家事の真っ最中に起きたことで、火の手は瞬く間に燃え上がり、命からがら人々は逃げる。
逃げる際に持ち出すことができた家財を荷車に積んで、人は火から逃げるために、水のある場所を目指す。
着いた先に、阿鼻叫喚の地獄が待じっているとも知らずに。


焼死した人の上に人が重なり蒸し焼きになる、まさにナチスドイツのしでかしたホロコーストさながらの地獄絵図から、生き残られた方のお話しを聞く機会を持ったのも、このころだった。


これまで生きてきて何度も泣けることはあったけど、地獄から生還された人の話ほど、胸を打ち、心揺さぶられるものはない。
生意気な私も、話を聞きながら泣いた。


被災したときは少年だった、そのおじいさんの、「人が焼かれながら、空高く舞っている」という言葉が今も、私の心には残っている。


後年、分かったことだけど、それは『火災旋風』という現象らしいDR REBORN投訴
周囲の火災による急激な温度上昇によって強力な渦巻きができ、モノもひとも空中に巻き上げられる状態だという。
すなわち、あまりにも急激に温度が上がることで、つむじ風が起きてしまうのだ。


火も水も、人間の営みには欠かせない大切なモノ。
けど、ひとたび牙を剥くと、とてつもない被害をもたらすのだと、防災の日に心する。