思いでシリーズ(一)

日本ブログ村にセカンドハウスを持つのが夢でした。それがやっと叶いまして昨日、竣工しました。月に二度ほど部屋の空気を入れ替えに行きます。粗末な狭い


所ですが、どうぞ遊びに来てください。お待ちしています能恩



「思いでシリーズ(一)」



平成四年のある寒い日、母はデイサービスでの食事中、心房細動に襲われ、急救病院へ搬送された。一週間ほどの治療で小康を得た時、ベッドの数を確保してお


きたいとの理由で、転院を申し渡された。


不安いっぱいの私に、純和風顔で温厚な女性主治医が、武蔵野にある病院を推薦し、こう言った。


「そこの病院はここの系列で、以前、私、勤めていました。環境がとても良くて、スタッフの方、皆、優しくてしっかりしています。ぶり返した時は、ここでま


た受け入れますから、心配なさらないでください能恩


 それと、お母さんは、いつなんどき、何があってもおかしくない状態ですから、昼夜監視が必要です。『家に帰りたい』と言い出しても、家での介護は絶対に


無理です。耳を傾けないでください」



主治医の危惧は現実となり、見舞いに来る誰彼なしに「帰りたい」を哀願し始めた。


気持ちは痛いほど分かるが、聞きたくないなあ、嫌だなあ、そう思いながら、それでも覚悟して行くと、思いも寄らぬ言葉「デルを死なせたことで子供たち、恨


んでいるだろうねぇ」だった。



デルは白と黒のぶちで、柴犬の雑種。昭和二十三年、男三人の中での一人娘なので、目に入れても痛くない長女を連れて年始回りをしていた父が、生後間もない


子犬の引き取り手を探す、その家の夫人の「貰い手がなくて困っているの」その言葉に、酔った勢いもあって、つい引き取った犬である能恩


家人を噛む悪癖を持ってはいたが、よく芸をこなし、和ませてくれていた。ところが、三年過ぎた初秋、家の近くを走る電車に轢かれ、左の前脚と後ろ脚を失っ


た。その日の夜、小学二年の幼い私を除いて、デルのこれからについての、話し合いがもたれた。


数日後、学校を終えて家の垣根まで来た時、デルが養生する納屋から、父母と聞きなれない男の声が聞こえた。


そこでそっと近づき、背伸びして格子の窓から覗くと、獣医と父母がいた。デルは身動き一つしない。


容態が急変し、獣医に頼ったが手遅れだった、と解釈したが、そうではなかったのである。


次兄は両親に滅多に逆らわない。その次兄が下校してデルの死を目にし、母に何かを問うた。その答えを耳にすると、激しい怒りをぶつけた。そしてその日以来


、家族の誰もがデルに関しては口にしなくなっていた。



母が言う「デルを死なせたことで、子供たち、恨んでいるだろうねぇ」その真意を知ろうと、当時高校二年の長兄と中学二年の次兄、そして小学五年生だった姉


にメールを打った。するといっせいに、返信メールが届いた。


長兄からは


「事故の夜、デルの今後についての家族会議がありました。僕は二本の脚を切断されてもそれでもまだ、家族に尾を振るデルが哀れで、できるものなら生かして


やりたいと思いました。ですけれど、あの状態ではむしろ、かわいそうかな、という感情もあったように思います。僕より、弟が生かすことに熱心だったと記憶


しています」


 次兄からは


「一晩でなく、三晩ぐらい生きていたように思います。庭の右手にある納屋の中で寝かされていましたが、時間が経つうち傷口が腐ってきて悪臭が漂うようにな


り、生かすか殺すかの議論があったように記憶しています。結論はなかったように思います。しかし雰囲気としては駄目だろうと言う感じでした。


傷口が治ったとしても、二本の脚で健康に生きていけるかは大いに疑問でした。私は生かすほうに努力すべきだと主張しましたが、その点については心の中で疑


問に思っていました。しかし、積極的に殺すと言うことは絶対に言えませんでした。


学校から帰って泣いて怒りましたが後の祭りでした。しかし『なぜ、生かさないで殺してしまったのだ』という感じよりも『何で俺を納得させた上で、殺してく


れなかったのだ』という、裏切られた気持ちの方が強かったように思います。心の中でも『こうせざるを得なかったのだ』という気持ちもありました」


姉からは


「轢かれた夜は生かそうと皆が思ったと思いますが、翌日には、お腹にうじがいっぱい湧いたのです。傷口も腐ってきたので、親たちの結論は飼い切れないと判


断したのでしょうね。子供の判断には従えなかったのだろうと思います。学校から帰った時は、もう埋めてあり、こんもり土が高くなっていたのを、はっきり憶


えています。みんなで、えんえん泣いたことも憶えています」



翌朝、兄姉からのメールを母に読み聞かせた。すると「みんな分かってくれていたのね、良かった。でも、やっぱり、みんなに安楽死させたいと話してからだっ


たわね」


と言い、ほほ笑んだ。


 この言葉を兄姉にメールした。すると文言は違うものの「早く話せば、気に病むこともなかったのに。ふだんあんなにおしゃべりなのに」このようなコメント


が返ってきた。


 母にこのことを話すと「そう言うだろうと思っていたよ」と言って、三日前と同じようなほほ笑みを見せた。


逃げへん

「切りましょう。内視鏡手術になります」」


 そう告げられて頭の中が真っ白だ。何も考えられない。ただただ怖くて震えてる!


 大腸ポリープの診断だった化療副作用。少し大きく数も多い。悪性化する前に手術となったのだ。


 母さんもそうだった。あの日、診察を終えた母さんは顔色を変え震えていた。そして家族の説得に、まるで聞く耳を持たなかった。


「怖い、怖い。切るのんはイヤや!」


 大腸がん!当事者じゃない僕までブルッた。当人なら、それ以上の恐怖感だったろう。


 親父も僕も、懸命に説き伏せたけど、「怖い怖い」と怯える母さんは追い込めない。結局母さんが自分で決めるのを待つしかなかった永久脫毛


 母さんが「手術受ける」と決断してくれた時は、本当に救われた。お医者さんに「口からウンコが出てくるよ」と言われたんだよな。母さんには恐怖に勝る宣告だったと思う。


 手術直後、お医者さんに見せられた母さんの大腸の一部。まるでゴムホース!無事に手術が終わった安堵のせいで、思わず笑ってしまった。顰蹙だったよな。母さんが受けた痛みや苦しみを理解できてなかったんだ。


「もう大丈夫やで。手術してよかったやろが」


「アホ!お母ちゃん、どない怖かったか!」


あの時、分かったよ。やっぱり母ちゃんは、おびんたれ(臆病者)やったんや。


 ああー!いまの僕、母ちゃんにそっくりや。小さい頃、しょっちゅう「お前はおびんたれや」と言われたけど、あれ、母ちゃんに丸写しやったからやろ。息子が似てて嬉しかったん違うか。安心しい。やっぱり、俺、母ちゃんの子や。そやから、手術は、やっぱり怖い!怖いんや。怖くてたまらない。


「アホけ、お前は。そんなおびんたれで、一人前の男になれるかいな」


 母ちゃんはそう叱るやろ名古屋機票。不憫な息子は、ほっておけへん。いつもそうやったな。


 そういえば、母ちゃんは、あの手術で、身をもって教えてくれたんかも知れん。息子が年を食って、いつか同じ病気になった時のために。不必要に怖がるのは情けないやろと、自分が見本になってくれたんやな。本当にそうなりかけた今、切実にそう思い至る。


 心配いらへん!手術は怖いけど、母ちゃんは逃げんかった。息子が逃げるわけにはいかんやろ。怖いけど逃げへん!「頑張ったわ」と、いつか母ちゃんに会ったら、そう報告する。その勇気を僕にくれた母ちゃんに「ありがとう!」って言いたいんや。ほんまやで。


おじいさんになりたい小学生

お若い方から、蝶ブログをリンクしていただき、とても光栄です。
「とても光栄である」と書きたいところだが、「です」「ます」体で表現したい気持ち。


で、お若い方の年齢は、まあ、なんと、わたしのこどもたちと同じ世代。


わたしには、アラサーの男女3人のこども高級門窗がいる。
こども、といっても、大人であるが。


このアラサー3人。
わたしに似ているのか、似ていないのか知らないが、ほんの少しだけ変わっている。


息子。
彼は、小学生の時から「はやく、おじいさんになりたい」と言っていた。
今、毎日、彼の願いは、どんどん目標に近づいてきている。
こういう目標って、なんの努力もしなくていいから、いいなあ、と、不思議なわたしの感想。


しかし、今は、まだ彼はアラサーで、おじいさんではないので、まだまだ目標はほど遠い。


下の娘の同僚で、この息子の元・高校の同級生とやらがいるそうだ。
その元・同級生の弁によると
「彼は、あんなに純粋だと、社会で護脊椅生きていけないんじゃないかと心配します」
とのこと。


当時の中・高校生のまんまだと、生きていけないだろう。
雑菌だらけの我が家で、しかも超おおざっぱな手抜き子育てで、なんであんなに純粋に育つのか、
親の顔が見たいところだが。親は私なので、ナゾは深まるばかり。
雑菌対応システムがオートセルフで組み込まれているのか。 あくまで、対応であって、自動除去装置ではないはず。


小学生の時は、クラスの同級生のおかあさんに、
「うちの息子みたいな乱暴な、トモダチのいない子にも優しくしていただいて、
とてもあ婚禮統籌文憑課程りがたく思っています」
と言われたような気がする。


別のおかあさんには、「どうやって育てると、ああいうふうになるんですか?」
と、筆記用具を携え(うそです)、メモメモ態勢の人もいた。


高校を卒業し、進路が決まったある日、
息子が居なくなった彼の部屋で、
「ああ、これで子育て卒業。子育て戦争終了」と感慨深く、ひとりで呆然と座っていたわたしがいた。


高校を卒業して、別に住むようになって、もう長い年月が経っている。


たまに帰省したりすると、息子に、おちょくられたり、からかわれたり、わたしは悪戯のターゲットになる。
生活様式について、咎められたりもする、世の中によくいる(らしい)姑のようなこともする。


あまり息子のことはよく知らないのだが、摩訶不思議な人物であることは確かだ。